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2012年12月20日

熱帯医学・マラリア研究部 マラリア学研究室長
安田(駒木)加奈子

今回、研究所の「若手研究者の声」という題で執筆の機会を頂いたので、マラリア原虫を対象とした私の研究内容と、マラリア研究の魅力について紹介したいと思います。

マラリアは、熱帯地域を中心に今なお猛威をふるう感染症であり、現在、世界では年間2億人余りがマラリアに罹患し、およそ100万人が命を落としています。マラリアに対する有効なワクチンは未だに開発されておらず、薬剤耐性マラリアの蔓延がこの疾病のコントロールを困難にしています。

マラリアの病原体であるマラリア原虫は単細胞の寄生性原虫です。マラリア原虫はハマダラ蚊の吸血によって、蚊の唾液と共にヒト体内に侵入します。そして、まず肝臓を経てから赤血球に寄生し、爆発的な分裂、増殖を繰り返し、この時にマラリアの病態を引き起こします。その後再度のハマダラ蚊の吸血によって蚊の体内に戻り、中腸内にて有性生殖をおこなった後に唾液腺に移行し、次の吸血によるヒト体内への侵入に備えるのです。マラリア原虫がヒトとハマダラ蚊の間で、まるで、違う生物に変身するかの如くダイナミックにその形態を変えながら宿主の免疫系による攻撃を避け、また宿主の環境を利用してしたたかに生き抜く、その緻密な仕組みには驚嘆させられます。この様な巧妙な寄生適応を可能としている分子メカニズムとはどの様なものなのかを知りたいという思いが私の研究の原動力となっています。

現在は一昔前からは想像もつかなかった程、ゲノミクスの手法が発達しています。マラリア原虫についても、そのゲノムの全容、遺伝子発現パターン等についてのデータはインターネット上のデータベース(PlasmoDB:http://plasmodb.org/plasmo/)に集積され、誰でもアクセスすることが出来ます。それにも関わらず、原虫の生存を支える根幹の分子メカニズムである遺伝子の転写、修復、複製、シグナル伝達が、どの様な分子メカニズムによっておこなわれているのか殆どわかっていません。その原因のひとつは、従来研究されてきたモデル生物とマラリア原虫との系統的位置関係の遠さにあります。モデル生物のうち、酵母、哺乳類、ショウジョウバエ、線虫は、いずれも真核生物全体からみると系統的にごく近く一つの単系統群に属し、マラリア原虫を含む多くの単細胞真核生物とは全く別のグループに属しています。モデル生物で解明されてきた基本的な生命現象は、真核生物全体にあてはまるとは限らないのです。これを反映する様に、マラリア原虫の全ゲノム情報より推定される遺伝子の約60 %は、既知のモデル生物(哺乳類、ショウジョウバエ、線虫、酵母、植物等)の遺伝子と相同性の無い全く機能未知の遺伝子なのです。

この様な状況から私は、「マラリア制圧ストラテジーの開発には、原虫の寄生適応の分子メカニズムについて正しく理解することが不可欠である」と考え、中でもマラリア原虫が「必要な遺伝子を必要な時期に発現させるためのメカニズム」である転写制御機構に着目しました。マラリア原虫には、モデル生物で知られている転写因子(遺伝子のプロモーター領域に結合して転写量を調節する因子)と相同性を持つ因子が殆ど存在しません。そこで私は原虫独自の転写因子を同定し、その作用メカニズムを明らかにすることを目的として研究をおこなってきました。その手法は現代においては非常に泥臭く、数十年前にモデル生物でおこなわれてきた様に、レポーター遺伝子の発現解析からエンハンサー領域を決定し、さらにそのエンハンサーに特異的に結合する原虫核内因子を培養原虫細胞から直接、液体クロマトグラフィーによって分離して同定する、というものでした。マラリア原虫を培養するにはヒト赤血球が不可欠であり、大量に培養をおこなっても(私は、大量培養して材料を揃える段階に一年近くかかりました)、準備できる原虫細胞の量には限界があり、精製したタンパクはごくわずかになってしまいます。幸い、今は昔と違い、質量分析法により微量のタンパクでも同定できるので、何とか未知の原虫転写因子の正体が見えて来たところです。これから、この分子の作用機序、コファクター、構造の解析を進めていく段階にあり、「いよいよ、マラリア原虫の転写制御機構の独自性、進化上の位置づけ、薬剤ターゲットとしての可能性等、様々な面を明らかにしていくステージに入った!」と胸を躍らせています。

私は、理学系の大学院で生物学を学んでいたバックグラウンドもあり、マラリア原虫の生物学的面白さに魅了されてしまっていますが、私の研究がマラリア流行地における対策の基礎となることを常に念頭においています。研究所と併設されている国立国際医療研究センター戸山病院は、現在、日本で最も多くのマラリア症例が集まる病院であり、病院のマラリア診断に協力させて頂く機会も多く頂いています。実験室にいながらも、実際のマラリアとはどのような疾病なのか、実験室から自分は何が出来るのか、「マラリア学」について幅広く考える機会にも恵まれています。今後は薬剤耐性マラリア原虫の発生・拡散メカニズムについても、分子生物学的な観点から解析していきたいとの構想もあります。この分野に多くの若い研究者の方々に興味を持って頂き、更には一緒に研究をする機会に恵まれることを願って止みません。

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